2016年7月31日、第58代横綱・千代の富士が、すい臓がんで亡くなりました。61歳でした。

「ウルフ」のニックネームで呼ばれ、大相撲で31回の優勝を果たし、相撲界で初めて国民栄誉賞を受賞するなど圧倒的な強さと人気を誇る輝かしい人生でした。



しかし、絵にかいたような国民的英雄の人生には、ひとつ深い悲しみがありました。1989年6月に生後4か月の三女の愛ちゃんをSIDS(乳幼児突然死症候群)で亡くしていたのです。

その時の千代の富士の憔悴ぶりは激しく、体重は一気に4キロ減り、師匠の親方でさえも「もう相撲は取れないのではないか」と思わせる程だったといいます。

愛ちゃんの葬儀から2週間後の名古屋場所。数珠を胸に千代の富士は場所入りしました。

「涙を流して娘が帰ってくるなら泣く。それより、あの子のために優勝する」

左肩のケガもあり肉体的にも精神的にも追い詰められていた状況の中、一つずつ着実に白星を重ねていき、やがて勝負は、史上初の同部屋の横綱同士による優勝決定戦となります。
千代の富士は、神がかり的にこの勝負を制し、見事に優勝を果たしました。心の中で、愛ちゃんにやったよ、優勝したよ、と語りかけたのではないでしょうか。

続く秋場所では、当時の通算勝ち星の新記録を樹立し、場所後に各界初の国民栄誉賞を受賞しました。1990年の春場所で、前人未到だった通算1000勝を達成、その年の九州場所では休場明けで31回目の優勝を果たしました。

家族の死は深い絶望をもらたします。
どんなに勝負強い男のハートでも容易に打ち砕いてしまうものです。しかし、その悲しみのどん底から、娘のために自分ができることを探したのでしょう。「あの子のために優勝する」という決意は、どれほど固かったことでしょう。
彼の本当の強さは家族への愛から来るものだったに違いありません。

千代の富士の葬儀は、「早世した娘さんの葬儀をした自宅で旅立ちたい」という故人の遺志で、三女・愛ちゃんの葬儀会場と同じ自宅で行われました。

千代の富士は、いまは娘さんと再会し幸せに過ごしているでしょうか。