安室奈美恵は、21歳のとき実母を殺害されています(1999年、安室奈美恵実母殺害事件)。
彼女にとって叔父にあたる人物が、母を車でひき、ナタで殴ったあと、山中に逃げ込み農薬自殺したという凄惨な事件でした。

仮通夜の夜、安室奈美恵は母を呆然と見つめ続けて大粒の涙を流し、そして白い布で母の顔に残るたくさんの傷、そして薄く残る血の痕を自分の頬を伝って母の顔にこぼれ落ちる涙で拭いていたといいます。

まだ若かった彼女にとって、どれほどの精神的なショックと悲しみだったでしょうか。
当時から安室奈美恵はトップアイドルでしたから、マスコミはセンセーショナルに報道をし、スポーツ新聞は銀座や有楽町で号外まで配る有り様でした。日本中がこの事件に注目し、ワイドショーが騒ぎ立てました。

そんな中、安室は気丈にも事件12日後には音楽番組に出演して活動を再開しています。
その後、彼女の胸の内はほとんど語られることはありませんでした。
そのためでしょうか、え、安室奈美恵ってそんな過去があったの?と思う人も少なくないと思います。

数少ないインタビューで彼女が悲しみの一端を吐露しています。一字一句の重みがズシリときます。
「母の死は私を地獄へ突き落とした。もう何もできなかった。けど、ずっとそうもしていられなかった…私も一人の母親として息子のために頑張らなきゃいけない。それが生きがい。」(2005年1月「UK TIMES」)

「母のことがあってからずっと辛かった。もう歌うことも「安室奈美恵」でいることもやめたいと思った。でも、今がどん底でもうこれ以上落ちることは無い…そう考えると少しづつ楽になっていった。」(2008年5月「AERA」抜粋)

一時期、安室奈美の左腕には次のタトゥーが彫られていました。母に対する深い愛情と哀悼の想いとどうしようもない心の痛みを我が身に刻み込みたかったのでしょう。

JUN.30 in 1950
my mother's love live with me
Eternally in my heart
R.I.P
MAR.17 in 1999

1950年6月30日(母親の生年月日)
母の愛は私と一緒に生きている
私の心の中で永遠に
rest in peace(安らかに眠れ)
1999年3月17日(母親が亡くなった日)


2002年に入れられたこのタトゥーは、その後、2013年のジャケット写真では薄くなっており、いまでは確認できなくなっています。


最近、安室奈美恵のリオオリンピック・パラリンピックのNHKテーマソング「HERO」のミュージックビデオを観ました。
映像の美しさとともに、彼女の顔立ちの凛々しさに惹かれました。



凄みのある美しさ。何よりも、悲しみの人生を生き抜いてきた深みを湛えた目をしていると感じます。
タトゥーで刻み込みたかったものは、すでに彼女自身の存在に刻み込まれているような気がします。

この曲の歌詞の一部です。

  強くなれる訳は大切な人が
  常に笑顔で支えてくれた
  だから乗り越えられる
  険しい道のりも
  君と交わした 約束の場所
  たどりついてみせる
  いつか必ずforevermore

  君だけのためのhero
  どんな日もそばにいるよ


作詞の方は、安室奈美恵ではなく、別な方なので、歌詞を深読みするのは的外れなのですが、安室奈美恵が「大切な人が常に笑顔で支えてくれた」と歌っているところを聴くと、胸にぐっと来るものがあります。

これからも、一ファンとして安室奈美恵が大きく羽ばたいていくさまを見守っていきたいと思います。